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  • 助教

    森田 耕三

    タイ

    私は2015年4月よりタイ、バンコクのRajavithi Hospitalというところで、前任者から引き次ぎ、留学をしています。ここは開心術(冠動脈バイパス、大動脈手術含む)だけで年間600 – 700例の手術があります。その内容も成人心臓外科はもちろん、小児複雑心奇形手術、大動脈カテーテル治療、弁膜症における形成術などなど、様々な手術を行っており、新しいものも取り入れられています。その他、肺手術などなども行っています。基本的に手術中心の日々であり、現時点(2015年10月時点)で術者4割、助手6割といったところです。術者として執刀するときも、attending surgeonが手あらいをせずまかせてもらえる症例も徐々に増えてきており充実した日々が送れています。Attending surgeonはyoung staffも含めると8人であり、それぞれの外科医が留学も含め非常に経験豊富であり、学べることがたくさんあります。もちろん手術は毎日あるのですが、topic review、journal club、morbidity/mortality conferenceなどのconference(基本的に英語です)も非常に熱心に行っています。外科医が忙しいのはやはり日本と同じで、そんな中でもこちらのレジデントはconferenceでも十分準備をし、非常にしっかりしたプレゼンテーションを行い、その能力の高さを伺わせます。それに対しスタッフも皆、conferenceでも常に発言し、若手の教育の義務(もちろん手術においても)を自覚してる様は、今後自分も見習っていかなければいけないと思っています。
    仕事としては、上記のようにタイの心臓外科のleading hospitalに相応しい、質、量ともにしっかりしたものですが、タイの人たちはイメージどおり基本的に明るく親しみやすいです。言葉の問題(英語は通じますが、僕自身の語学力の問題・・)はありますが、タイの人たちのそういう明るさに助けられてるところが多くあります。そういったところも含めこちらにいる間に多くのことを学びたいと思っています。

  • 2年間のバンコク留学をふりかえって。

    助教

    池田 昌弘

    タイ

    2012年12月15日バンコク・スワンナブーム国際空港、一人のタイ人が私を待っていました。彼の名は、Nudang Chusak、バンコク Rajavithi病院心臓血管外科のヤングスタッフです。やや照れながら軽く微笑んでいる彼は、私にとても親切で、これからのバンコク留学で一番お世話になるスタッフでした。
    ほとんどの心臓血管外科医の若手がそうであるように、私も入局した当初から留学は憧れでした。新浪先生からお話をいただいたときは2012年の夏で、行先はタイ・バンコク Rajavithi病院。留学というと欧米を想像しがちですが、タイでの臨床留学に試験が必要なかったことと、コミュニケーションも英語でよいという好条件でしたので、二つ返事でお願いしました。
    タイの首都バンコクの人口は首都圏とし14,565,520人と東南アジア屈指の世界都市です。国際色も豊かで、日本より英語に依存しており(医学はほとんど英語輸入品で、薬品名はもちろん医学用語も英語です。)、日本人も5万人以上在住しています。またタイでの心臓血管外科事情ですが、まずタイの胸部外科医は200人程度しかいません。しかも肺外科、食道外科も含まれており、純粋な心臓血管外科医はそれ以下です。症例は大病院に集中しており開心術100例以上の病院は私立、公立あわせて30施設程度です。
    その中の一つであるRajavithi病院は開心術の年間症例数500~600例で、私の留学時のスタッフは7人、レジデントは常に3人以上いました。Rajavithi病院ではそれぞれのスタッフに、週のうち1~2日手術室が与えられており、ヤングスタッフもほぼ独立しています。心臓血管外科のdirectorは小児心臓外科のDr. Pirapatという先生でしたが、前任のDr. Peenutchaneeが新浪先生の友人で成人心臓外科担当ということで、直接の責任者であり、直接指導してくれました。半年経つ頃には前述のDr. Chusak、Dr. Peenutchaneeに加えてあと2人のシニアの先生が私に術者をさせてくれるようになりました。
    もちろん最初から手術をさせてくれたわけではありません。1か月ほどのお試し期間中、前立ちをしばらく続け、内胸動脈採集やカニュレーションを続けた結果でしたが、いざ術者になった時も、最初は今まで新浪先生の前立ちで見て覚えてきたことをそのまま見よう見まねで試行しました。いままでさんざん叱られながら覚えてきたことだったので、忘れることもなかったし、いざ自分で手術をしてみるととても合理的な手技だったのだと思いました。術後の管理は、日本と違って看護師とレジデントの仕事でした。当初日本式にICUに居座ると看護師たちに、気になるから部屋で休んでくれ、と何度も言われるようになったので、少しお任せすることにしました。
    私自身の手術数は週1~4例で、1年で100例程度でした。ほかの海外留学されている方がどれくらい手術されているかはわかりませんが、私にとっては十分な症例数でした。内訳はOPCABが4割、on pump CABGが3割、valveが3割弱です。この国ではrheumatic heart diseaseが大変多いのですが、valveはほかのヤングスタッフに人気で、coronaryは人気がないので、必然的にCABGが多くなりました。OPCABも比較的自由にさせてもらえました。器具もre-useですがOctopusやStarfishを使わせてくれます。Valveでは日本では少なくなったMVR、DVRが多く、今の日本ではなかなかつめない経験を積むことができます。またDavid operationやMVPの第一助手も多く、年に2回ぐらいですが心移植もあります。タイのsurgeonは若いころから独立しているので技術的には想像以上に優れていましたし、指導医も厳しかったし、一緒にトレーニングしているフェローやレジデントも優秀でした。手術に関して言えば、私ぐらいの日本の心臓血管外科医にとっては大変に恵まれた環境だと思います。
    私は病院のレジデントルームに住んでいました。あまりリラックスできませんが、家賃もいらないし、緊急時には便利でした。またスタッフやレジデントがいろんなところに食事に連れて行ってくれましたし、日本人の店もたくさんあります。基本的にタイ人は日本好きですし、慣れてくると生活の面で困ることはあまりないと思います。
    当然大変なこともありました。第一にタイ人はよく言えばおおらかであり、悪く言えばいい加減です。手術室でも器具がなくなり、次回の手術時に気付いて、術式を変えなければいけない時も少なくありませんでした。またみんな時間にルーズなので、朝の集まりも悪く、手術も時間通りに始まることはまずありません。当然最初はかなり戸惑いましたが、1年たつ頃にはそれが普通になりたっている社会なので気にならなくなりました。第二にコミュニケーションです。タイの医学は前述のように英語の直輸入です。なので、医学用語、手術器具、orderまで英語で統一しろと言われましたが、自分の英語も不十分でしたし、みんなが英語をできるわけではないので、やはり英語でのコミュニケーションは限界がありました。それでもタイ語でもある程度のコミュニケーションをとることができるようになってくるとそのストレスもすこしずつ解消されてきました。
    どこにいても多少の大変さや問題はあると思いますが、私はRajavithi病院での留学はその環境の大変さが貴重な経験でした。海外、しかも東南アジアでの日本では考えられないような環境で我慢し、積極的に頑張ってきたことが一番の収穫であったかもしれません。また私の留学中に大きなデモやクーデターがありましたので、病院としても大変な時期もあったと思います。それでも私の手術は継続して確保してくれましたので2年間で合計約200例術者を経験させてもらえたことは大変感謝しています。
    この2年で学んだ技術と、我慢と積極的な気持ちと、感謝の気持ちを持って今後の心臓血管外科医として頑張っていこうと思います。また自分の後任の先生にもっとやりやすい環境になるようにできればいいと思っています。

  • 医局長、助教

    駒ヶ嶺 正英

    ドイツ

    留学先の紹介

    筆者は2014年9月から2016年8月までの2年間、ドイツBad Oeynhausenにある、ノルトライン・ウエストファーレン州心臓病センター(HDZ -NRW)に臨床留学をした。Bad Oeynahausenは、ドイツ北部に位置し、デュッセルドルフとベルリンの中間に位置する人口5万人程の自然豊かな町である。HDZ NRWは、ボッフム大学付属心臓病センターとしての役割も果たしており、2015年の年間開心術は4500例とヨーロッパを代表するhigh volume centerである。内訳は弁膜症2400例、冠動脈バイパス術1600例、大血管300例、重症心不全(心臓移植、補助人工心臓VAD) 200例。MICS、経カテーテル大動脈弁置換術(TAVI)等の低侵襲治療も積極的に行っている。また、心臓移植、補助人工心臓(VAD)治療等の重症心不全治療にも力を入れており、年間の心臓移植数は約80例とドイツ国内でも最も多く、VAD植え込み数は年間約120例であった。

    留学までの経緯

    筆者は初期臨床研修後に、東京女子医科大学心臓血管外科に入局した。入局後、関連病院である横浜医療センターに出張を行い、上司であった盆子原幸宏先生(現・横浜医療センター心臓血管外科部長)が以前、HDZ-NRWで留学を行っていた経緯もあり、南和友先生(現・北関東循環器病院長)を紹介して頂いた。南先生は、1984年のHDZ-NRW設立に関わりその後も副所長として勤務されていたなかで数多くの日本人医師の留学を受け入れて来られた。医師4年目に、南先生と共にHDZ-NRWを見学する機会を得て、圧倒的な症例数や手術のスピード、正確さに衝撃を覚えいつか自分もこのような施設に留学したいと思うようになった。しかし帰国後は、目の前の仕事に没頭するうちに年数が経過していった。2013年学会で南先生にお会いする機会があり、以前から抱いていた留学の思いを伝えた所、留学を調整して頂ける事となった。まずは、ドイツ語の勉強をしっかりする様にと言われ、仕事の合間にドイツ語学校に通い始めた。その後、2014年9月からの臨床留学が正式に決まった事より、2014年3月末渡独をした。病院との労働契約は交わしていたが、ドイツで臨床を行うためには当時、医師活動許可証を取得しその後労働許可証を得る必要があった。医師活動許可証取得の為には、ドイツ語B2レベル合格(中級の上、大学入学レベル)が必要であった。フランクフルトにある、語学検定を行っているGoethe InstituteのSuper Intensive コースを受講し、語学学校の寮に住み込んだ。朝から晩までドイツ語漬けの日々を過ごし、極力日本語は話さないようしていた。現地のラジオを聞き、新聞を読み、積極的にクラスメートに話しかけ、日曜日には図書館に籠もっていた。ワールドカップで国中が連日盛り上がっていたが、そんな人々を横目にひたすら学校に通った。そんな執念も実り、7月にB2試験に合格、8月には労働許可証を得ることが出来た。

    留学先での生活

    心臓外科医は各病棟に配属され、3週間は手術室、1週間は病棟勤務というサイクルで働いた。同僚はドイツ人が半分ほどであり、スペイン、ギリシャ、ロシア、東欧諸国や政治状況の影響かイラン、シリア等アラブ諸国から来ているものも多く、まさに人種のるつぼであった。最初の3か月は病棟医や当直業務は免除されていたが、3か月目より病棟医、当直業務を他の医師と同様に行っていた。病棟医は1週間基本的に1人で病棟業務を行い、回診、病棟での外科処置、患者さんへのIC、退院サマリーの作成等を行う。患者さんへのICや退院サマリーの作成など語学的な問題で大変苦労し、病棟医の週は毎回憂鬱であった。また、当直中はすぐに対応できるように、一睡もせずコールがあった場合は、直接病棟に行くことを心掛けていた。病院の朝は早く7時より病棟の申し送り、7時15分より全体会議、8時執刀開始であった。手術室は8室あり、各部屋は縦2-3例の開心術が予定されており、一日20例程の開心術が行われていた。前日の夕方になると、パソコン上で次の日の手術予定とメンバーが確認できた。基本的に毎日2-3例の開心術に参加し、最初は大伏在静脈(SVG)採取等の第2助手から始まり、徐々に第1助手の症例が増えていった。上級医からの信頼を得るにつれて手術中任される役割は増えていった。手術は、冠動脈バイパス術、弁膜症手術が多く、VAD植え込み術、心臓移植等様々な手術に入った。手術室勤務の週は朝からひたすら手術に入り続け、患者さんをICUに搬送すれば帰宅可能であった。
    日本人の契約は通常の契約と異なり2年契約であり、正規の専門医コースからは外れていたため、執刀の機会を得ることは困難であった。約2年間で700例程の開心術に参加し、第1助手が400例、執刀は冠動脈バイパス術の2例であった。
    働いた当初は言葉の問題もあり、なかなか周りからの信頼を得られていなかった様に思う。悔しい思いも沢山したし、分からないと言う事でますます信頼されなくなるのではと思っていた。しかし半年から1年ほど経つと、語学で分からないものは分からないとはっきり言える様になってきた。自分をさらけ出すことで、皆に助けを求めることが出来た。その結果、同僚や看護師等沢山の人が助けてくれるようになり、手術室や病棟、当直業務も円滑に回るようになった。また、日本では当然の術後の細かい管理や休日にも病棟に顔を出す事で少しずつだが周りからの信頼を得ることが出来たと思う。

    エピソード

    ドイツは勤務時間が厳しく制限されており、年間4-6週間程度の休暇が与えられる。ドイツ人は休暇の為に働くと言われる所以である。日本で働いて時は、休日ゆっくり家族と過ごす時間がなかったが、その埋め合わせをするが如く家族で旅行に出かけた。車で移動可能なドイツ国内やオランダ、ポーランドは勿論の事スペイン、イギリス、フィンランド等様々な国を訪れることが出来た。その中でも、クリスマス休暇を利用したフィンランドでは、北極圏にあるロバニエミという町を訪れた。ここは、公式サンタクロースがいるという町であり、本物のサンタクロース(?)と会った時の子供たちの嬉しそうな顔は忘れられない。今でも、クリスマスの季節になるとサンタクロースから我が家には手紙が届いている。

    若手心臓外科医へのメッセージ

    ドイツでは心臓病センターは人口100万人に1施設作られ、全土で80施設と集約化されている。各施設が1000-5000例のhigh volume centerであり、厳しい選抜の上、専門医プログラムに乗れば豊富な症例を経験できる。また、ヨーロッパ全体に新しい医療に挑戦する土壌があり、患者さんも医療の進歩に参加することに誇りをもっている。その為、デバイスの認可も早く最新の治療を学ぶことが出来る。ただし、2014年から2015年にかけてドイツ国内での外国人医師に対する労働条件が厳しくなり、現在各州管轄の医師会が主催する専門試験に合格し、医師免許(Approbation)の習得が義務付けられている。臨床留学のハードルは年々上がってきているのが現状であり、留学の際には最新の情報を得ることが重要である。私の臨床留学は、数多くの手術を執刀した等の華々しい留学体験ではないかもしれない。しかし異国で生活をし、様々な国籍の同僚たちと一緒に切磋琢磨し手術を行った日々は何事にも代えられない貴重な経験であった。そして何よりも異国で自分と向き合い、自分が日本人であるという事を意識し、祖国を外から見る事が出来たという意味でも海外留学の持つ意味は大きいと思われる。動き出せば景色は変わる、その言葉を胸に是非前に進んで行ってほしいと思う。